地域包括ケアシステム

「地域包括ケアシステム」とは、高齢者が可能な限り住み慣れた地域で、自立した生活を送れるように、医療、介護、介護予防、住まい等の日常生活の支援が包括的に提供される体制です。
 このケアシステムが動き始める前、「可能な限り」という言葉は謳われていませんでした。「住み慣れた地域」が果たしてすべての高齢者にとって終の地域としてふさわしいのか、といつも反論していました。人には長い人生の中で触れられたくない、記憶の壺の底の底に沈めてしまった嫌な思い出を持つ人もいるはずです。その方にとっては今住んでいる地域は必ずしも住み続けたいところとは言えません。「自立した生活」という言葉も的確とは言えません。介護の手を借りて生活する高齢者を自立と呼ぶのはいかがなものかと思うのです。また、支援する側と支援される側という2極体制も正しい考え方とは言い難く思います。
 地域包括ケアシステムについて、わかりやすくお伝えしようと思い、まずは定義から外れないために確認したつもりが、こんな体制批判めいた文章が浮かんできてしまいました。こうなると、この先の文章は自分勝手な地域包括ケアシステム、ということになるのでしょうか。いえ、決して自分よがりな発想ではなく、認知症や介護に深くかかわってきた諸先輩は私と同じような考えを持っていらっしゃるのです。
 私の考える「地域包括ケアシステム」、それは、高齢者が住みたいと思う地域で、地域の住民に受け入れられ、地域の様々な職種の人たちが襷(たすき)をつなぐ如くに連携して手を差し伸べ、高齢者も自らの残された機能を生かして地域のために主体的に社会活動に参加することで、支援する側と支援される側という主従関係を作らない、高齢者が安心して幸せに暮らせる安全な地域社会づくりです。自立した生活を送れるところではありません。そのためには、常に流動的である必要があります。常に新しい試みを作っていくことで地域社会が停滞することなく活性化します。大上段に立派な青写真を掲げても頭を抱えて何も実現しません。できることから始める、地域住民参加型であり、高齢者参加型の取り組みが理想的だと思っています。そうすることによって、地域格差が生まれるというお役所的な考えもありますが、それが地方創生であり、地域活性化なのではないでしょうか。
 この考え方が間違っていると思われますか?大都会では、最初に掲げたシステムづくりをお役所が図面を引いて示されていますが、地方では、資金もなく設備も整っていない中で、しかし、生き生きと全住民がこぞって参加する「地域包括ケアシステム」の構築が常に行われているのです。
 人が人を想う、人と人が手をつなぐ、そんな人としての原点はどこに行ってしまったのでしょうか?もしかしたら、今の青少年たちがそうした社会を呼び戻してくれるかもしれません。そのためにも、地球を大切に残そうではありませんか。 (島田)