第7回認知症講演会講演内容全文 あなたはどうしていますか?―介護達成感と満足度―

介護保険制度が始まってから10年目になります。
このことは、グループホームが認知症対応型一色になって10年目になったことを意味します。
ということは、私自身が認知症の患者さまを診させていただいて、すでに10年以上の歳月が過ぎたということだと改めて驚かされました。
そんな経緯もあってか、私はこの1年の間に認知症キャラバンメイトと認知症サポーターの養成講座の講師をそれぞれ務めさせていただきました。
100名以上の参加者の前で講義をするという機会を与えられましたことは、私にとっても大変貴重な経験でした。マイクの使い方や発音が悪くて隅々まで声が届かなかったとか、スピーチの下手さゆえにわざわざ眠るために来たような時間にしてしまったとか…。
それよりも何よりも、認知症に関心を持っておられる方や身近に認知症の方に接した経験をお持ちの方がこんなにたくさんいらっしゃるのだということに感銘を受けました。
この数年間、認知症のお話をするたびに必ず質問されることがあります。「何々のような状態のときはどのようにするのが良いのでしょうか?」というような具体的な質問です。
日常の外来診療の場面でも常に見られる光景です。もちろん、足らない知識とない知恵を絞って誠心誠意お答えしていますが、10年間もこんなことを繰り返していていいのだろうかと最近思い始めました。
今日の講演会を企画した当初の目的は、日頃介護に携わる介護職員の方たちや、認知症の方を介護されているご家族のお役にたてるような、具体的なケアの方法を集めてご紹介しようというものでした。
たとえばこれは道庁の担当課からいただいた質問です:
「認知症だと認めない本人を診察に連れていくのに何か良い方法はありますか?」という質問です。
こんなやり方はどうでしょうか?
① ご本人の誕生日や、結婚記念日やお子さんやお孫さんの誕生日など、何か記念日に託けて、「もっと元気で長生きしてほしいから、健康診断を受けてください」と勧める。
物忘れが進んでいるなら、記念日が近いといってもあまり区別がつかないかもしれません。ひとりで行けと言わずに、私も一緒についていきますから、と言って不安を少しでも取り除いてあげるようにしたら良いでしょう。
② もういつ死んでもいいから健康診断なんか必要ないというお年寄りには、「孫の結婚式には出てあげて」とか「ひ孫の顔を見てほしいし、名前を付けてほしいから」と言ってみるのはどうでしょうか?
③ それでもだめなら・・・どなたかアイデアを分けてください。
どんな方法でも、受診当日になるとたいてい、「そんなことは言ってない」と始まります。ここをうまくクリアするには、一番気を許す人の登場が不可欠です。要は理屈ではなく、その場のムードです。
一度受診していただけたらあとは何とかなりそうです。頭のMRI検査などをして、少し物忘れしませんか?と尋ねるとたいていの方は、「年だからそれはありますねえ」と答えられます。後は、少しずつ、刺激しないように、検査を続け、薬を飲んでみましょうと進めていきます。一度に結果を突き付けないようにしています。
このことは、「認知症の初期に認知症だとご家族が本人に告知してもよいか」との質問に対する私の答えでもあります。
どんなに楽天的な性格の持ち主でも、「認知症」という言葉には敏感に反応するものです。若年性認知症というのでなければ、いきなり「認知症」と言われるのはどうかと思います。なぜなら、「物忘れ」それ自体は単なる加齢現象でもあるわけで、ご本人も「年だから物忘れするようになった」と自分に言い聞かせているのですから。
このばあいは、やはり「年をとったから多少物忘れはあるでしょうけど、心配になってきたのなら、一度検査してもらいましょうか」とか、「症状のない脳梗塞というのがあると聞くから一度診てもらいましょう」などと、早期発見早期治療も物忘れ対策としてあるということや認知症の検査ではなく脳梗塞予防のための検査を受けに行くと説明するのが良いのではないでしょうか?
また、可能なら認知症プラスの治療をしてもらうと便利です。たとえば、認知症プラス高血圧とか、認知症プラス脳梗塞とか、病院に通う理由が認知症の治療ではなく別の治療が必要だから行かなければならないというふうに動機づけできるとご家族も連れて行きやすいのではないでしょうか?
「デイサービスを毎回拒否するのですが…」という質問ですが、
まず、電話で送迎を断らないことです。多くのご家族が「今日は行かないと言ってるのでお休みします」と電話をかけてこられます。さすがに、電話で断られると「いいえ迎えに行きます」とは言えません。でも、餅は餅屋です。迎えに行って上手におしゃべりができる介護スタッフなら、きっと車に乗せてしまうでしょう。それも笑顔で「行ってきます」と言わせて。認知症の方はとにかく何もしたくなくなるものです。ああしようこうしようと考えるのも面倒、もちろん行動を起こすのも面倒なのです。ですが、一緒にしましょうということにはちょっと心が動きます。そこに、悪い言い方をすれば、そこにうまくつけ込めれば「誰々さんがあなたが来るのを待ってますよ」とか「この間の歌、今日も聴かせてください」などとうまく乗せるのは介護スタッフのほうが上手です。


よく、「昼間は問題ないのに夕方になると落ち着かなくなる」という相談を受けます。
あまり文献的に当たったことはないのですが、この行動は、動物の帰巣本能とも関係があるのではないかと私は思っています。何が言いたいかというと、今いる所に対して、終の棲家という気持ちを持てないのではないかということです。
以前この講演会で「敵か味方か」というお話をさせていただきました。
誤解や異論もあるかもしれませんが、敢えて言うなら、夕方になって帰る支度を始めるのはそこに住む人たちが自分の味方ではないと感じているからかもしれません。味方ではないと言うのが言い過ぎなら、味方度が低いと感じているのかもしれません。前に住んでいた所にはもっと優しい家族がいたと感じているのかもしれません。もしそうなら、ご家族にとっても、施設介護職員にとっても、これは大きな課題です。
夕方になると落ち着きがなくなる時の対処法として、ご近所を一緒に回ってくるとか、以前の家に行って見せてあげるとか、ほかのことに注意を向けさせるとか、がよくあげられますが、それはそれで良いのでしょう。しかし、その根底に必要なことは、帰りたい場所を共有してあげること、そして今はそこよりももっと良いところがあるということを知ってもらう努力ではないかと私は思うのです。
今のお話の中で、認知症の方は「感じ」ているという言い方をしたことに気付いた方はいらっしゃるでしょうか?
認知症の方は多分、思考や記憶が先に衰えていくのだと思います。認知症の方だけではなくそれが老化なのかもしれません。そして感性も衰えるのは終末期なのではないかと思います。認知症の方は、その刹那刹那を感じるままに生活しているのだと思います。「敵か味方か」という区別も、何をされたから敵だ味方だと思うのではなく、同じことをされてもそれが好ましく感じたか否かで判定されるのではないでしょうか?
もちろん、ご家族やスタッフが一所懸命尽くしているのに、それにもかかわらず、怒りをぶつけてくる場合もあります。しかし、それとても、薬の治療を加えることにより、穏やかになります。認知症の進行過程で今できる治療といえば、衰退の一途をたどる思考や記憶を取り戻すことではなく、最後まで残る感性を穏やかなものにして差し上げることくらいのように思います。
認知症の人は「感じて生きている」、これは「島田理論」です。全く科学的根拠に基づいておらず、他の学者がすでに唱えているかどうかさえ確かめていない、独断と偏見に満ちた理論です。
しかし、この独断と偏見に見える理論も実践して成果が得られれば、独断でも偏見でもなくなります。
ここにおいでの皆さんの中にも、毎日の体験の中から得た「推論」をお持ちの方がいらっしゃることと思います。
具体的なケアの方法論は私一人で取り組んでできるものではありません。また、上から一元的に押し付けるものでもありません。同じような事例があっても全く同じ事例は一つとしてありません。だから、現場で十分な討論を行って実践してみましょう。討論しても明かりが見えてこなければ、同じ職種、同じ体験をしている人に聞いてもらうことも解決の糸口になるかもしれません。そして試行錯誤で構いません、実践を繰り返して、ひとつでも多くの「実践的ケアの方法」を構築しましょう。
今日の講演のテーマは「介護達成感と満足度」についてです。ご家族が長く在宅介護を継続する、あるいは介護職員がその仕事を持続させるためには、自分の行っている介護にどれだけ満足しているか、どこまで希望する介護を達成できていると感じているかが重要だと考えました。介護負担感を軽減し、満足感と達成感が得られる介護は、ともすれば共倒れになりかねない介護者の介護継続意欲を持続させる重要な要素だと思います。そこで、今までお話ししたような、日常介護の中で遭遇すると思われる具体的な問題の解決のヒントをたくさんご紹介しようと考えたのですが、重大な問題にぶつかりました。それは、介護者が受ける、精神的肉体的な暴力行為です。
虐待として取り上げられる、被介護者つまり認知症の人が受ける暴力行為よりも、実はその機会も多く、介護者の介護継続意欲を打ち砕く重大な要素となっているのが、この、介護者が受ける暴力行為ではないでしょうか?
自分では一所懸命にお世話しているつもりでいるのに、その瞬間にその相手から罵声を浴びせられたら、どうでしょう?その場にいられなくなるでしょうし、あとになってもその言葉が前向きな介護にブレーキをかける結果となるでしょう。もし物理的に叩かれたり抓られたりしたら、その肉体的苦痛と相手を責められない精神的苦痛の2重の苦痛は誰が癒してくれるのでしょうか?多くの場合、「仕事だから仕方がない」とあきらめ、介護意欲を失い、辛い、辞めたいと思うようになるのではないかと思います。
暴力を受けないためにはどうするか、それにこたえる準備はできていません。とても難しいことです。認知症の人の感性が刹那的であり、しかも怒りや不安と常に背中合わせでいるからです。しかし、暴力を受けてしまった介護者にどうしてあげられるか、はお話しできます。
それは、暴力を受けた介護者が自分の辛い気持、絶望感を話せる環境を用意することです。すぐに職場でカンファレンスや話し合いを行うのもよいのですが、「あなたのやり方が悪かった」というような雰囲気になってしまっては何の意味もありません。このことは十分注意する必要があります。
暴力に限らず仕事上のストレスも話したり相談できる体制や、今日のお話のような介護上のアドバイスを受けられる機会を作ることの必要性を感じます。
おたるケアネットという名前、とても良い名前なのですが、すでに使われているので、介護おたすけネットワークという名前はどうでしょうか?
どこかに既にありそうですね。「小樽」を尻尾につけたらどこにもないでしょう。
介護おたすけネットワーク小樽、です。
それはこんな構成です。
2010年4月17日講演会_008.jpg
こうして構成図を作ってみると、たいそうなことをやろうとしているわけではないと思われるでしょう。
便宜上4つのグループに分けてありますが、それぞれのグループには特にサブグループはありません。あまり縦割りにすると融通が利かなくなるためです。たとえば、「介護包括支援センター」と書いたグループには、主に各地区の介護包括支援センターが中心になって活動すると良いと思う福祉会、老人会、家族会や、スポーツクラブ、市民のボランティア団体などが入っていますし、「介護支援事業所」と書かれたグループには、多数点在するグループホームやデイサービス・デイケアセンター、小規模多機能ホーム、有料老人ホームなどが位置づけられます。医療機関と書いたグループには、医療としての機能も併せ持つ老人保健施設や特別養護老人ホームや認知症診療に携わる医療機関などが属しますが、もうひとつのキャラバンメイト・サポーター連絡会というグループは、実は存在いたしません。
現在、全国の動きに合わせて小樽市でもキャラバンメイトや認知症サポーターの養成を推進しておりますが、徐々に増えつつあるキャラバンメイトやサポーターの活躍の場や連携の場が用意されておりません。活動報告や相談ができるようなものはあるべきだと思い、「キャラバンメイト・サポーター連絡会」という仮の名でひとつのグループを作りました。
こうしたグループを作ることによって、自分の位置が明確になります。それと同時に報告や相談などがしやすくなります。そして、今までは個々の成果であり失敗であった事例をグループ化することによって、そのグループの財産として残すことができ、みんなで共有することができるようになります。たとえば、Aというグループホーム内で起こった問題について他のグループホームでよい解決法を見つけていないか気軽に相談できるようになるでしょうし、一緒に共通の話題として話し合うことができるようになるでしょう。
このようにして得られた各グループの知的財産はおたすけネットワーク全体の財産として、グループの枠を超えていつでも誰でも利用できるようにします。もちろん個人情報保護を徹底することが前提です。
同じような活動はこれらグループとグループの間でも自由に、かつ、効率的に行われるでしょう。違った立場からの意見や身近な人にはできない特殊な相談も自由に声を掛け合うことができるようになるでしょう。
このネットワークは問題解決のためだけにあるのではありません。介護用品の安全性を検討し情報発信する場にもなりますし、各地のイベントを紹介、支援する場にもなりますし、「認知症の人が安心して住める街づくり」の小さなアイデアを発信する場にもなります。
各グループ内に壁はなく、また各グループ間同士にも仕切りは存在しません。自由に行き来できる情報交換の場であって、常にひとつにまとまらなければ動けない不自由さをなくしながらも、ひとつに統一された活動母体としての介護おたすけネットワーク、一緒に始めてみませんか?
(附)介護労働者の2008年度の離職率は都内で18.7%、大阪府内で19%と、全産業の離職率(14.6%)に比べて高い。離職理由として「職場の人間関係」「事業所の運営方針」のほか、「収入が少ない」「将来の見込みが立たない」なども目立つ。また、勤続年数も平均4.4年と短い。