認知症について(1) ― 認知症と高次脳機能障害(1) ―

脳外科なのに、何でも相談に乗れる医者になりたいとがむしゃらにやっていたら、いつの間にか認知症とかかわりが深くなって・・・気が付いたら、もう10年は過ぎたでしょうか。なんだか、あっという間の10年でした。でも楽しい10年でもありました。認知症は未知の世界に見えました。自分が開拓者になることもできる・・・なんて、そんな大それた野望はありませんでしたが、少なくとも、医学の進歩と一緒に歩める喜びみたいなものがありました。
ここでまとめようとしていることは、もしかしたら、「脳外科医なら当たり前のこと」ならぬ「認知症研究者なら当たり前のこと」か、「認知症治療に携わる資格なし」といわれる事柄を延々と書き連ねることになるのかもしれません。どちらの非難も甘んじるつもりです。
なぜなら、これは僕の足跡であり、ここがこれからのスタート地点でもあるからです。
前置きはこのくらいにして、本題に入ります。
Slide1 およそ脊椎動物の脳(脳胞)の発生学的分類は共通しており、だいたい左の図のような5種類に分類されます。そして、ヒトの脳においては終脳は大脳、間脳は間脳、中脳は脳幹、後脳は小脳、髄脳は延髄に相当します。つまり、脊椎動物にあっては、爬虫類であっても、ヒトであっても、これら5つの脳があるということです。
Slide2
ところで、みなさんはこのようなイラストを見たことはありませんか?
理性脳(新哺乳類脳)
情動脳(旧哺乳類脳)
反射脳(爬虫類脳)

この図で誤解されやすいのは、爬虫類以下の脊椎動物には大脳がないように見えるところです。
しかし、脊椎動物には皆同じ脳の発生があるのです。つまり終脳と呼ばれる脳は爬虫類でも存在しているのです。ただ、発達の度合いがそれぞれ違うだけです。
Slide3 Slide4 Slide5 Slice6
このように、どの脊椎動物にも終脳までの脳の発達がありますし、同じ哺乳動物でさえも、終脳の発達の度合いは種によって異なっていることがわかります。脳は、それぞれの動物の種類にとって、より重要な中枢がある部位をより前方に移動させて大きく発達させてきたのです。(ヒトの脳では、特に前頭葉が前方に大きく張り出していて、この部分がより重要な中枢であることがわかります。)
爬虫類では、心拍、呼吸、血圧、体温などを調整する基本的な生命維持の機能をつかさどり、種の保存というよりも自己保全の目的の為に機能する脳の構造が最優先され、イヌやネコなどの哺乳動物の脳では海馬、帯状回、扁桃体といった“大脳辺縁系(limbic system)”が発達しました。これは、個体の生存維持と種の保存に役立つ快・不快の刺激と結びついた本能的情動や感情行動を起こさせる機能と、危険や脅威から逃避する反応や外敵を攻撃する反応を取る原始的な防衛本能をつかさどる脳の構造です。
そして、ヒトの脳において著しく発達したのは、知能・知性の源泉である新皮質、理性脳です。
ヒトの脳には、この生物の進化の歴史が内蔵されていると説明し、新皮質(neocortex)を理性脳(Rational brain)と表現したのは、Paul D. MacLean という人ですが、これこそが高次脳機能をつかさどる場所というわけです。(注:僕は進化論に賛同するものではありません。念のため)
実は、僕は、高次脳機能障害という用語は知っていますが、高次脳という用語があるのか、高次‐脳機能という用語があるのか、よく知らないのです。
だから、ここでは理性脳を「高次脳機能をつかさどる場所」と表現しておきます。なぜなら、ここの障害こそが高次脳機能障害だからです。
以下に、脳の局在と主な働き、および主な障害名を載せたイラストが続きます。これを読んでくださる方の、脳の解剖についての再確認の、手助けになればと思い掲載しました。同じようなイラストが続きますので、邪魔でしたら一気に飛ばしてくださってかまいません。
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以前に、認知症のリハビリテーションについて、自分勝手な解釈に基づくリハビリ理論を掲載しまた。そこでの僕の理論は、「認知症のリハビリテーションについての、認知神経科学的根拠に基づく、ターゲット器官は大脳皮質の前頭連合野である」と主張しました。そこに付録として、大脳皮質連合野の働きを簡略化したアニメーションを載せたのですが、多分、ご覧になることは困難だったのではないかと思います。下のイラストは、そのアニメーションを排除したものです。

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これは視覚や聴覚によって得られた情報を元に情動的行為が検証され、より高次の理性的行為としてプログラムされて、「その人らしい」行動が起こされる様子を簡略化したものです。もちろん、個人的な思考モデルで、科学的な実証はありません。
この「その人らしさ」を産み出しているのは前頭連合野です(どうして個性が生まれるかという問題は細胞のミトコンドリアレベルの話です)が、頭頂連合野、側頭連合野、後頭連合野といったほかの大脳皮質連合野や大脳辺縁系、小脳などとの緊密な連携がなくなれば本来の高度な機能は発令されません。
すなわち、日本でいうところの「高次脳機能障害」というのは、この連携器官が傷害されたり連携が断たれた結果か、もしくは脳の中央執行機関たる前頭連合野自身が傷害された結果起こってくる「認知機能障害」のことを指しています。


またまた蛇足になりますが、主な高次脳機能障害を列記しておきます。
遂行機能障害・・・前頭葉
見通しを自分で立てられない。アイデアを自分で出す、計画を立てる、効率よく物事を進めることができない。
日時、場所、人の名前がおぼれられない(失見当識)。一日のスケジュールがわからない。
注意障害・・・右半球
ぼんやりしていて自分の周りの人や事象に関心を示さない。気が散りやすい。簡単なミスが多い。二つ以上のことを同時にできない。他のことに関心を転換できない。
地誌的障害・・・右(両側)側頭葉から後頭葉
よく知っている道で迷う。家の近くの写真を見せてもわからない。
失語症失読・失書を含む)・・・左半球、左前頭葉下部(ブローカ野)、左側頭葉(ウェルニッケ野)、角回
失認(視覚失認、相貌失認、聴覚失認)・・・後頭葉、側頭葉
視覚失認・・物品、物品の絵、図形を提示されても呼称できない。対象そのものが何であるかわからない。対象をひとまとまりとして把握できない。
相貌失認・・よく知っている人の顔がわからない。
聴覚失認・・話、環境音が聞き取れない。
失行・・・左半球縁上回
観念失行・・系列行為の障害(例・・マッチを擦って煙草に火をつけられない)
観念運動失行・・道具を用いない単純な動作や習慣的な動作が意図的にできない(例・・ジャンケンのチョキを出しなさい)
構成失行・・空間的形態を構成できない。(例・・お手本と同じ様に積み木を積む事が出来ない。)
着衣失行・・着衣の障害、左右、前後を間違える、うまく着る事が出来ない(これだけ右半球?)
肢節運動失行・・手、足に触れるものを離そうとしない。
頬-顔面失行・・舌、唇の運動、嚥下動作、顔の表情を指示通りできない
半側空間無視・・・右半球頭頂葉
食事の時、左側にある食事を残す。常に顎が右方向を向いている。
絵を描いていると左側が出来ていない等。
見えているけれど、意識していないという状態。
半側身体失認・・・右半球
左麻痺が存在していても、医師、療法士の質問に麻痺の存在を否定する
歩行できないにもかかわらず、歩けると言う。 左側の身体の異物感を、他人のものと思うことがある。
行動と情緒障害
激しい感情になる・・左半球ダメージ
無関心になる・・・・右半球ダメージ
年齢よりも幼なく人に頼りたがる。周囲の状況に無関心になる。感情のコントロールができず、欲求が抑えられない。状況に適した行動がとれない。
主な高次脳機能障害の、推測される障害部位と状態像を書き添えましたが、異論がないわけではありません
例えば、失行については
「失行とは、運動が可能であるにもかかわらず、合目的的な運動(合目的的な運動とは、経験、範例、教育によって学習した運動のこと)が不可能な状態で、運動記憶から適切な運動を想起し、運動イメージを描き、実行するためのプログラムを構成して運動を起こすというプロセスのどこかで障害されていると考えられている。
左頭頂葉が損傷中枢で、失行はここに蓄えられた運動の順序に関する記憶が遮断されるためと考える人もいるし、前頭連合野でイメージした運動を実行に移すことが不完全なためと考えている人もいる
さて、ここで話題をちょっとだけ認知症に移します。
認知症症状は中核症状と周辺症状の2種類に分けられる、とどのテキストにも書かれています。
中核症状は、記憶障害、失語、失行、失認、遂行機能障害といった「認知機能障害」、
周辺症状は、攻撃性、不穏、焦燥性興奮、脱抑制、収集癖などの行動異常と不安、うつ症状、幻覚、妄想といった心理症状(認知症の行動および心理症状(BPSD))
と説明されています。
この「認知機能障害」という言葉に注目して次の号に移りたいと思います。