認知症に対するリハビリテーション : 認知神経科学的根拠に基づくアプローチ(2)

認知症のリハビリの目的
まず、認知症の人にリハビリを行う目的とは何なのでしょうか?
認知症のケア(介護も医療もここでは区別しません)を考えるとき、筆者はいつも「もし自分が認知症になったら」と考えることにしています。そこに矛盾しないケアを考える、それが最善のケアだと信じているのです。
以前にお話ししたことがある(「もしもあなたが認知症になったら」)のですが、認知症の人はだんだん自分が今までの自分ではなくなっていく不安と、社会や家族の中で自分の位置(立場や居場所)が失われていく孤独感を感じて生きています。断片的によみがえる過去の記憶も、楽しいことばかりとはいえません。失敗や傷心を伴っていることもあります。それらは「戻っては来ない」記憶ですし、もう一度体験するだけの若さもありません。頼りない自分、認知症が進むとそうした記憶すら浮かんでくることが少なくなります。対象のない焦燥感は怒りに転換され、怒りの対象を求めます。認知症の人の内面(心の世界)は、いつも孤独感の中にいるわけです。
そのため、認知症の人をケアするにあたっての共通した視点は「さびしがらせない」ということになり、楽しんでもらえるケア(リハビリ)、一人ぼっちにさせないケア(リハビリ)、思い出を語り合うケア(リハビリ)などが取り入れられるようになりました。
こうした取り組みは、どれもケースバイケースでそれなりの効果を上げてきました。しかし、こうした取り組みも長く続けていくと、取り組む主体者側にも疑問と焦りが見えてきます。「笑わせていくら」「楽しませていくら」で、人間の尊厳は満たされるのか、歴史に刻まれないとしても少なくとも地域や家庭を築いて守り抜いてきたこの人たちへの畏敬の念は失われていないだろうか…と。
認知症の人を包み込んでいる孤独な世界観は、自分がなくなる、位置が失われる、新たな体験をする意欲も出ない、といった種々の要因から生まれた結果世界であります。
つまり、認知症の人に対するリハビリの目的とは、自己の意識を高め、主体性と協調性を取り戻し、「自他共に生きる」自分を見出すことだと言えます。「さびしがらせない」ケアは、その具体策であって、私たちはさらにその先にある、リハビリの目的を達成しているか否かを検証することが必要です。


もしもあなたが認知症に.pdf